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書かずにはいられない

  • 7月10日
  • 読了時間: 3分

 木田塔子さんの著書を読んだ。彼女が亡くなっていることを知り、書こう書こうと思うだけで行動を起こさなかった"後悔"という名の虫が、私の心を静かに食い荒らしていった。もっと早くに書いていたら彼女の命は今もここに存在していたのではないかと非常におこがましいにも程がある想いに突き動かされて筆を取っている。


 現在36歳の会社員。"普通"に憧れ、普通に生きれない人生を歩んだ子ども時代と青年期。ここ数年はじめて"普通"を噛み締め、ひっそりと暮らしている。まわりの人は私の経験なんて知らないからか、すっとぼけて知らんぷりをよくするからか私のことを"育ちのいいおぼっちゃま"と思っているようだ。それはそれで案外心地がよい。


 ひょんなことから16歳の時に精神科に入院した経験がある。医師や病院が変わるたびに病名が変わる。おかしいのは自分じゃなくてあなたたちでは?と大人に対して牙をむき、それでも抑えきれない感情は自分を傷つけることで乗り越えてきた。適応障害、統合失調症、解離性障害、P T S D」などさまざまだった。当時、いわゆる被虐待環境に身を置いていたが、その環境が被虐待環境だったと気がついたのはずいぶんと後のこと。病院暮らしをしていた16歳当時はまだ自分が暮らしてきた環境がおかしかったという認識が大きくなかった。あまりにも長い間、その環境に晒されていると、それはごくごく当たり前の普通の日常になるからだ。きっとその最初の時に適切な治療を受けられていたら、"二度目"は来なかっただろうと今でも残念に思う。


 現実が辛すぎて空想の世界に傾れ込み、気がついた時には、自分では流すことができない床に穴があるだけのトイレに床から10センチもなさそうな段差に敷いてある剥き出しのマットレス。動物園の檻のような見た目の柵に自分は一体なぜこんなところにいるのかと悲しくなった。極めつけは誰が使用したかわからない茶渋で汚れたペットボトルにお茶が入れられて配膳されてきたこと。潔癖でもなんでもなかったけれど、さすがに口をつけるのは躊躇った。


 そこが保護室という場所であったことを知ったのはずいぶん後のこと。治療といった治療を受けることはなかったが振り返れば家庭から離れることができて衣食住が守られた。その体験は良かったものであると信じたい。当時の体験は辛いものでもあったが、自分の人生を見つめ直すには早すぎる、しかし重要な時間であった。


 その後、看護師を目指し22歳で看護大学に入学。そのときも憧れていた"普通"になれたと喜んでいたが、そこにあった"普通"とはただの幻想であった。看護師という職業は人の命を扱うもので、学びも深く、精神的に不調を抱えた。ー虐待。それまで感じていた生きづらさの正体だった。だけどそれまでに診てもらっていた先生たちには言うことができなかった。どうせまた怒られる。きっと信じてもらえない。医療に繋がっていたものの心の内側を打ち明ける関係性は築けていなかったのだと思う。


◆この記事と執筆者について

逆境的な経験をした当事者による寄稿

 
 
 

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